★★★★★ バリ編 (2010年10月10日~12日)★★★★★
2010年10月10日(バトゥール山登頂)
メンバー:7名

時間はややいい加減です。
08:00:ホテル チャンプアンをバスで出発
09:30:ペネロカン登山口に到着
09:30-12:00:バトゥール山山頂に到着。昼食(標高1717m)。
12:30-15:00: ペネロカン登山口に到着
16:30:ホテル チャンプアンにバスで到着
今回の山行を一言で表せば、「アクシデントだらけの山行」でした。
そのいち~。前日の飛行機が直行便予定が、ジャカルタ経由になりました。その為、深夜にホテルに着き、最初の予定は早朝出発だったのですが、8:00出発になりました。お蔭で、朝の交通ラッシュに遭い、1時間で登山口到着が1時間半かかりました。しかし、その間の景色は素晴らしく、特に段々畑が記憶に残りました。まあ、前日の夜が遅かった為か、途中から爆睡しましたけど。
登山口に着いた時は、やや曇り。バトゥール山もばっちり見えました。登り始めは平らな道がやや長く、ちょっと単調に感じました。途中から雨が降ってきましたが、小降りの為、気にせずそのまま登りました。しかし、途中の山小屋で休んだら、本格的に降り始め、そこでレインコートを着けて、山頂にアタックしました。(アクシデントそのに~) 山頂までの道は、難度も高くなく、短く、まあハイキング程度の道でした。
12:00近くに山頂(標高1717m)につき、昼食をとりました。中身はサンドウィッチで、パンは水気を吸いすぎてグチャグチャになってました。ホテルで用意してくれたものだったのですが、こりゃ山のことを何も知らない人が作ったな~と感じました。元々、弁当を入れていたボックスも大き過ぎて、リュックには不向きで困りました。余り登山で泊まる人が少ないホテルなんだなと思いました。
山頂での景観は、雨が降っていた為、全然駄目で、即座に登山口まで戻りました。特筆することもなく、2時間程度の簡単な道のりでした。雨が降っていたことが、難度を高めるのに丁度良かった位です。
アクシデントそのさ~ん。15:00位に登山口に戻ったところ、いきなりガイドから、これから温泉に入りますよと声をかけられました。聞いてないよ~、温泉セット持ってきていないじゃん。こちらの温泉は混浴で、入るには水着が必要です。全員、汗を流したいな~と思いながら、断腸の思いで諦めました。温泉費用のバックはあるのかな~と思いながらバスに乗り込みました。
アクシデントそのよ~ん。バスでホテルへの帰路中、またラッシュに遭い、1時間半程かかりました。ホテルへ帰るまでが、山行です。
このように、「アクシデントだらけの山行」でしたが、これらは、ほんの序章に過ぎなかったのです。
<下記はバトゥール山に登らなかった3人のメンバーの行動です>
10月10日(ウブドゥ散策)
晴れ。6時起床でホテルのお庭を軽く散歩した後朝食へ。鳥のさえずり、木々を駆け回るリス、川のせせらぎ…。昨日の成田空港の喧騒から一変ここは楽園だ。今日はEさん、Tさんと3人でウブドの町をジャランジャラン(散歩)する日で、気持ちも時間ゆったり。バトゥール登山組を見送り、身仕度をしていざ出発!
バスでウブドの中心街まで出て王宮前よりジャランジャランスタート、田園地帯を目指す。
大通りから石畳の横道へ入る。よく見ると石畳一枚一枚に文字や絵が刻まれており、お店の宣伝やハネムーンらしきラブラブメッセージ等様々。日本語も発見した。それならば「アルプス灯会参上!」なんてプレートもありかな?などと本気で考える。
左右には素朴なお店と宿泊施設が並ぶ。途中何件か宿を覗いてみる。概ね1泊2~3千円といったところか。バスルームからは、ここでは自慢の「ライスフィールドビュー」が広がる。
石畳が終わり急坂を上ると辺り一面ライスフィールドとなった。所々に点在する小屋からはモ~と牛の低い声が響き、野良猫が畦道を行き来する。日本にもありそうな風景…、でもどこか違う。空の青さと椰子の木、色鮮やかな蝶やトンボ、そして鬱蒼としたジャングルが南国バリであると教えてくれる。田んぼの至るところに神への供物があり、信仰の深さも感じる。とても癒される風景だ。
川のせせらぎを聞きながらミニジャングルを抜けると折返し地点、再び広大なライステラス(段々畑)を右手にのんびり歩く。気温が上がって来て蒸し暑い。絶好のタイミングで涼しげなカフェの建物が現れ、ノドを潤したいところだが、ランチタイムになっていたし、思ったより時間がかかっていたのでここは泣く泣くパス。先を急ぎ田園を抜ける。
今日のお目当てランチはブタの丸焼き(バビグリン)。人気の食堂「イブ・オカ」は3匹分のお肉が14時頃には売り切れるとの事、何としてでも食べてみたい!
屋台風の建物で案の定人がギッシリ。タイミング良く席が空きバビグリンを注文。外を見るとバケツをひっくり返したようなスコール…、今日はツイているかも。
白いライスの上にジューシーなお肉、パリパリの皮、腸詰、そしてスパイス、これを混ぜて食べる。独特のスパイスが効いていて美味しい!300円弱というお値段も嬉しい!
お腹を満たしたところで今度はウブドの繁華街をジャランジャラン。市場をウロつくが、観光客慣れした売り子が寄ってくる。「お姉さん安いよ~、見るだけタダ~。」もううんざりで写真だけバッチリ撮り市場を後に。それにしても通りはいつでも車とバイクで大渋滞、歩いた方がよっぽど早そうだ。通り沿いのスーパーでこの国の物価のお勉強をし、お目当ての石けん屋を見るともう15時過ぎ。時間が経つのが早すぎる!今晩から登山だし、バトゥール山組もそろそろ戻ってくるとの事で、後ろ髪を引かれながらホテルに戻ることにする。
この時はこの後何が起こるか知る由もなかった…。
10月11日(アグン山登山)
メンバー:10名
23:55:バリ島の総本山ブサキ寺院出発(標高約950m)。
0:35-0:55:ペングブガン小寺院。ガイドはお祈り。
6:00-6:20:コリアグン小寺院。ガイドはお祈り(標高約2560m)。
7:50-8:35: アグン山頂上(標高3142m)。
9:25-9:40:コリアグン小寺院。
12:20-12:50:ペングブガン小寺院。
13:30:ブサキ寺院着。
この日は、神のお告げにより、満月の夜から満月の夜までのお祭りの最中という。ローカルガイドはお祭りに出るため、山に入らないという。バトゥール山下山後の車の中で、ガイドから突然こんなこと言われた。今日は満月から10日ほど経っているのに、直前にこんな話はないだろう!!。
さて、これからが大変、リーダーのYさんが、エージェントに掛け合いすったもんだ。ガイドなしでも行くかどうか/地図があればガイドなくても行けそうだから地図は手配できないか/ガイドなしでなにかあったらヤバイからやめようか・・等々、皆で議論。この夜結論は、エージェントがギリギリまで登ってもらえるローカルガイドを探すから、とりあえず予定通り0:30(夜中ですよ)出発といこうことで解散(ほぼ皆あきらめムード・・・)。時刻は20:40。
と、その時、エージェントから連絡が入り、ガイドは手配できたとのこと。しかしロングコースのブサキ寺院からのルートなので、22:00集合だって。えっ!、あと1時間後!、寝られないよ。あれ、当初0:30集合のはずだったけど、その時はどこのルートを登る予定だったの?。まさか最高点には行けない短時間のパサールアグンルートだったの?などなど思いつつ、とにもかくにもアグン山に行けるということで、出発。移動の車の中で爆睡。
ブサキ寺院に到着し、準備をし、いざ出発。ガイドは総勢4人。真っ暗な細いレンガを敷いた道を40分も行くと、ペングブガン小寺院についた。ガイドはお祈りをするという。我々はしばし休憩。ここから先はレンガ道はなく山道に。2時間程度は急登もなかったが、その後はかなりの急登。しかもヒルが一杯いる。時々チェックするが、あちこちにヒルがくっ付いて往生する。ふと手をみると、血が一杯。何も気がつかなかったが、やられた!。恐る恐るズボンの裾をめくってみると小豆のよう丸いヒルがいた。厚手の靴下の上からも見事にやられるもんだと感心。標高2000mくらいのなると、もうヒルはいないよとガイドはいう。根拠あるのかと思ったが、とりあえず一安心。しかしながらあいかわらず樹林の急登は続き、これからは睡魔との闘い。とにかく眠い。歩いていても眠りそうだ。休憩の時にものの1分も経たずに寝入ってしまう者もいる。
夜が明けた頃、コリアグン小寺院到着。樹林はここで終了。あとは岩稜帯を頂上までひたすら登る。最後の正念場だ。しかもガスに閉ざされ、足が重い。ところが、Lucky ladyのパワーは凄い!。何と頂上ではガスが晴れた!!。ロンボク島のリンジャニこそみえなかったが、パサールアグン山、アバン山、バトゥール山が見え、海も見える。皆、大感激。夜を徹して8時間、標高差2000m以上を登った価値がある。N氏は、感激のあまり一人涙ぐんだとか。いつまでもいたいが、また同じ距離だけ下らなければならない。後ろ髪を引かれながら下山の途へ。登りの時はガスの中で気がつかなかったが、結構急な岩稜を登ってきたんだとあらためて思った。
樹林帯に突入すると雨が降り出した。またヒルの森を行くのかと思うとちょっと気が重い。ペングブガン小寺院についてボディーチェックすると案の定、ヒルがあちこちに。
日帰りでこんな標高差をこれまで登ったことはない。しかも徹夜で。我ながらよく登ったと思う。
ところで、アグン山は3142mとなっているが、この標高は1960年代に測定したものであり、その後測られていない。ガイドによれば、その後侵食により標高は下がっているという。ブサキ寺院の標高(950m)、及びコリアグン小寺院の標高(2560m)が正しいとすると、私の高度計によれば、3000mあるかないかだ。次に測量されるのはいつになるだろうか?。
それと、山にはゴミが一杯。ゴミを捨てない、持ち帰るという概念はまだないようだ。何年か前に行ったキナバルでは、トイレとゴミ箱がたくさんあった。日本の感覚では、ゴミミ箱など置かずに自分で持ち帰るべしだが、こういったところではトイレとゴミ箱を設置し、入山料を取る。そのお金で維持・整備するのがよいのではないだろうか。
10月12日(帰国日)
後発組にとっては四日目に当たるご当地最終日は、夕刻まで自由行動でそれぞれ寺院や買物、ビーチなどで過ごす。
小生はMさんとデンパサール寺院、博物館、免税店巡りの五時間コースをオプションで選択。一人35ドルのツアーは午前九時ホテル集合。Mさん、事前の打ち合わせ通りに、日本語の達者なSガイドに交渉し、免税店はパスする代わりに、博物館の時間を多く取り、立ち寄り先の市場を増やし、更にスーパーに寄ってもらう事にする。我等が愛機スズキのミニバンに乗り込み、取り敢えず両替商へ。寺院そして博物館でガイドの詳しい解説を聞きながらバリの歴史・風習を学ぶ。マーケットの露天でバリ伝統菓子を購うが、汁物は制止される。Sガイド曰く、「あれは生水をそのまま使っているから駄目。現地人の私もお腹をこわす」。食堂でバリ飯を堪能し、以後買物編。一階がスーパーで二階・三階が百貨店というお店で土産物 を漁る。民族衣装、石鹸、絵葉書、トランプ、お香、珈琲、紅茶など。Mさん、職場用に手ごろな物が無かったため、再交渉してバリ名物「麝香猫(の糞)珈琲」と免税店を追加してもらう。UCCIは日本の上島珈琲とは全く関係ないとのことだが店員は日本語を良くし、入店して真っ先に奥の焙煎室に案内され、戻ると早速紅茶と珈琲(四種類)のテイスティングが始まる。手際の良さが素晴らしい。各種カップに半分ほど注いでくれる。ビスケットにチョコレートもある。有難く頂戴し、Mさんはお目当ての商品をGET。そして最後の免税店、お客は多分我々のみ。中庭に噴水もあり豪華な作りだった。
09:10ホテル発~両替商~ジャガッタナ寺院~バリ博物館~クンバサリショッピングセンター~クレネンマーケット~食堂~スーパー(兼百貨店)~UCCI珈琲~免税店~ホテル16:10着。
17:00からはバリ最後のイベント、ジンバランでの「サンセット・ディナー」。連日夕刻は雨また曇りと、美しい夕日を拝めるかどうか皆々不安に思っていたが、日没直前の雲間からのぞく夕焼け、紅く染まる海を背景に皆で記念撮影をすることが出来た。南十字星や三日月も素晴らしい。流しの歌う「北国の春」をBGMに海鮮料理を堪能。将にアルプス灯会三十五周年記念山行の掉尾を飾るイベントだった。
後発組は帰国に際して先発組となり、19:30にレストランを離れ空港へ。ビジネスクラスのラウンジは貸切。広い部屋の一角に陣取り、見上げると「VIP Room 1」の文字が。隣りのソファーの上には「VIP Room 2」。まるで相撲の升席のようだ。首都ジャカルタまでの機内もアルプス灯会がビジネスクラスを1時間45分独占使用。そしてお楽しみの機内食。Mさんと小生はチキンを選択、後席の二人に選択肢は無かった。。。2種類x2食、計4人分のみの用意だったらしい。あっという間にジャカルタへ到着。一番先に機外へ出て、空いているビジネスクラスのカウンターへ向かう。さすがにエコノミーとは格式が違う。日本語の聴き取り能力が素晴らしい係員がいる。皆に丁寧に敬称を付ける(小生に対して 何故か呼び捨て)。Mさん、小生、と席が確定したところで、コンピュータに不具合が。Yさん、Tさんの席が取れない。付近の関係者に聞くと、「原因はわからないけど、結構時間かかると思うよ」。十分、二十分、三十分。。。後からきたエコノミークラス乗継の邦人が、もはや一人もいなくなった。Yさんはあきらめ顔。Tさんは「インチョンでも良いから乗せて頂戴!」。何とか席を確保し、Customへ。FAST TRACK のカードを貰っていたのだが、その窓口は無人で閉まっている。これはインドネシアンホスピタリティーなのか?それとも賄賂を要求されているのか?空港職員と思われる人に聞くと、その御仁、いきなり大声を張り上げた。詰所から慌てて係りが飛んできた。単にサボって休んでいただけ であった。さあ、待望のラウンジで寛ごう。その前に免税店で煙草を購入、とのYさんの希望を覆すように店々はシャッターを下ろし始めていた。「閉店です」という売り子が、こちらの必死の形相に驚いて「あそこなら」。Yさん猛ダッシュで唯一?開いている免税店へ。
さすがに首都だけあり、ラウンジは入りが良い。ここで優雅に過ごせるのは残り三十分程度。が、喫煙室(そしてアルコールの提供)が無いことが残念なYさん、ゲートの時間になると早々に「じゃあ行こうか」。席次はYさん、Tさんが並びであったが、他は何故かバラバラ。嗚呼、懐かしの成田空港。後発・先発組で四人だけの解団式を、と思っていたら、なんと先乗り後発組の熱烈歓迎を受ける事に!!!御用とお急ぎで無い方は、記念山行延長戦に突入した模様。
以上でロンボク島とバリ島のインドネシアの2つの島を股にかけた旅の報告はおしまい。
思えば、準備を始めた5ヶ月程前から出発までが長かった。日程を考え、宿を決め、メンバー募集をして、あとは出かけるだけとなった出発直前に、帰りの飛行機の座席が確保されていないとかダブルブッキングとか国際線の現地到着時間が変更になり、国内便への乗り継ぎが間に合わないかもしれないとか…波乱の幕開け。しかし、ロンボク島ではラッキーな場面に何度も出くわし、この旅は祝福されていると確信。ところが、バリ島に渡るとアグン山に登れない危機が。運も尽きたか…と思ったのは一瞬のこと。やはり、ラッキーは続いた。振り返ってみれば、あのトラブルもアグン山登山を盛り上げるためのものだったと思われてならない。頂上まではガスっていて全く視界がなかったのに、我々が登頂後瞬く間にサッーとガスが晴れるなんて…。何かありますね。
リンジャニ山はメンバー全員登頂できたが、アグン山は全員といかなかったのが唯一の心残り。
しかし、全員が無事に元気に帰ってこられたことが何より。
今回、一緒に思い出多き旅に参加してくれたメンバーの皆さん、ありがとうございました。そして、お世話になったすべての方々に感謝いたします。
帰国後、成田空港での延長戦では早くも40周年はどこに行く話に花が咲いた。いや、5年後と言わずにまた来年あたり行こうかなんて話も出ていたことも報告しておこう。
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