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40周年記念海外山行(台湾/玉山3,952m, 雪山3,886m)

【日程】2015年11月22日(日)-30日(月)
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【メンバー】KA(L)、WA(L)*、YE(幹事)*、WO(幹事)*、OB、KS*、SM*、HS*、MY、HM(記録)、MI(記録)、EB(記録)*、YO〈他会〉、HY〈WO友人〉、CH〈WO友人〉、R〈現地ガイド〉 *玉山後、雪山へ

【行程】
22日(日)台湾 台北集合。Star Hostel泊
23日(月)移動日。バスで台北=台中=嘉義(昼食)=奮起湖老街(観光)=阿里山青年活動中心泊
24日(火)バスで阿里山=塔塔加サドル=停車場、シャトルバス乗換で登山口へ。玉山登山1日目:登山口(2600m)-孟祿亭-大峭壁-排雲山莊(3402m)泊
25日(水)玉山登山2日目:排雲山荘-風口-玉山主峰(3952m)-排雲山荘-登山口。バスで台北帰着
26日(木)台北で打ち上げランチ後、帰国組見送り。雪山組(*)はバンで移動。台北=雪隧=圓山=武陵農場/武陵國民賓館泊
27日(金)雪山登山1日目:武陵=登山口(2140m)‐シチカ山莊-観景台-雪山東峰(3201m)-三六九山荘(3150m)泊
28日(土)雪山登山2日目:三六九山荘-圈谷-雪山主峰(3886m)-三六九山荘-登山口。バンで台北帰着 
29日(日)観光 (キュウフン、北投温泉)
30日(月)雪山組帰国

【報告】
◆前夜、21日(土)
今回日本から11人行くが、5:50という早朝便で向かうのは私だけ。最終一本前で羽田に向かう。予想より人少ない。
チェックイン可能になる3:20まで 江戸小路のコーナーにイス並べてベッドにして仮眠する。結構よく眠れた。予定通り出発。

◆22日(日)
08:45 着陸 バスでホテルに向かう。漢字と英語と日本語が混ざった街並み。香港によく似てる。約一時間で到着。すごく綺麗なホテル。
荷物預けて県泰豊本店にいく。二時間待ち!日本人ばかり。待ってる間にお土産買う。たまたまサマーズのロケに出くわす。
15:00 ホテルに戻る。他のメンバーの多くと合流。皆でメトロに乗り士林夜市にいき、そこで全員集合する。
その後呉さんのお店を経て、WOさんお薦めの海鮮居酒屋まで歩いていく。台湾ビールと台湾料理を堪能する。何を食べても美味しい。
ホテルに戻ってさらに飲み直す。0時過ぎ就寝。

◆23日(月)
6時前に起床しパンとコーヒー、ジャムとピーナッツバターの朝食を済ませ、7時過ぎ出発。曇りだ。
10:45 お昼ご飯。すごい量だ、しかも美味しい。海鮮、肉なんでもある。日本の神社によく使われている台湾檜で有名な奮起湖観光。ここのコンビニで買い出し。ガスが出てて真っ白になってきた。
16:00 阿里山青年活動中心到着。すごく綺麗な宿泊施設。標高は2100m。10℃くらいか。晩御飯までテラスで何人かで飲む。夕日がとても綺麗で列車のホームまで皆で撮影に行く。しばし撮影会。
18:00 晩御飯。これまた種類が多く量もたっぷり。スープが2種類。肉料理が数種類。野菜も数品。麺とご飯。多くの品が出てくるのが台湾料理の特徴か。
食事の後、私の部屋で宴会。明日は早いのでそれでも22時には就寝する。
さあ、明日からやっと山だ。

◆24日(火)
阿里山青年活動中心の朝食時間は、6時だった。6時前には、絶対に食堂が開かない。
食事の内容は、バイキング形式でパンも饅頭もお粥も揃っている。私は、美味しく食べることができた。
食事のあと、チャーターバスに乗って、上東埔の駐車場に向かう。ここでバスから降りて、登山口に向かうのだ。
歩いてしばらく行くと、塔塔加(タタカ)警察隊の建物と排雲登山サービスセンターが並んで建っている場所に到着した。
ここから、マイクロバスに乗って塔塔加鞍部の登山口に行く。バスは、8人乗りなのだが、人数の関係なのか9人が乗って出発した。10分ほどで、登山口に到着する。
全員が揃ったところで、ガイドのRさんを先頭に登山を開始する。登山といっても、とてもなだらかな登山道で、ほとんど傾斜がないような感じがする。
ただ、進行方向の右側は、切り立った崖になっているので、落ちたりしたら命の保証はない。日本では考えられないほどの、深い谷がどこまでも続いている。
Rさんは、ザックカバーをした大きな荷物を背負っている。何が入っているのか、最後まで分からなかった。
Rさんの後ろは、WOんの台湾のお友達二人が続く。その後ろをWOさん。その後をKAさん、そして、私というふうに続いた。
班は、我々先行組と、WAさんリーダーの後行組に分かれた。二つの班の連絡は、アマチュア無線で行った。無線機は、MIとWAが持参した。

9時40分少し前に、登山を開始した。
ここから、今日の宿泊場所の排雲山荘までは8.5キロの行程になる。ほんとうになだらかな道なので、注意するのは高山病だけのような按配である。
登山口の高度は2,600m、今日の目的地の排雲山荘は、ほぼ、3,400m。8.5キロで800m登ればいい計算になる。
登山開始から1時間ほどで、最初の休憩所「モンロー亭」に到着した。漢字での表記は「孟禄亭」となる。
マリリン・モンローと関係があるのかと思っていたが、何でも経済協力局中国分署の財務顧問であったモンローさんが、ここの断崖から転落したので、彼の名前をとって名付けられたものだとか。
マリリン・モンローは、全く関係なく、単なる私の思い込みであった。

しばらく進むと、玉山前峰への登山口の前を通過した。
玉山は、1日90余人までという入山規制があるが、この前峰も玉山とは別に、申請をして許可されなくては、登れないらしい。
排雲山荘に向かう山道を登りながら、周りに見える山々に目をやって考えた。
日本の山の景色とは、明らかに違う。谷は深いし、稜線から谷底に落ちている絶壁の高さは、日本ではなかなかお目にかかることができないものだ。
その内に、周囲が巨大な樹木に変化していった。「巨大世界」と書かれた看板も出てきた。

冷杉(モミ)や鉄杉(ツガ)の大木が、どこまでも続いていて、別世界に来たような錯覚を抱いてしまう。
途中に、まるで人が築き上げたように、滑らかでしっかりとしたスラブ状の一枚岩が現れた。それが、登って行く道の右側から谷底へ、一気に200メートルほど落ちている。
登山道が穏やかなので、あまり恐怖感はないのだが、何かのはずみで落ちたりしたら助かる術はないだろう。
出発して3時間ぐらい経ったところに白木林休憩所がある。大きな休憩所で、近くにはバイオトイレもある。トイレは、排雲山荘までの間に、ここのトイレも含めて3箇所設置されている。中がどのような状態だったのかは、使っていないので分からない。
この白木林休憩所で、昼食を摂るために30分ほど休憩した。ここからは、玉山主峰に連なる稜線が、目の前に眺められた。
休憩を終わり、また進んで行くと大きなスラブ状の岩場が出現した。名前が「大峭壁」と命名されている巨大な壁である。高さは100メートル以上あるか、クライミングが出来たとしたら、かなり魅力的な一枚岩かもしれない。なんとなく取り付いてみたが、こんな所で怪我でもしたら大事なので、すぐにやめた次第。
ここを通り過ぎると、今日の宿泊地、排雲山荘はもうすぐである。
登山道に、石の階段が現れたりする。橋に手摺が付いていたりもする。桟橋と記された登山道に掛けられた橋は、全部で82個ある。「桟橋」は、「さんばし」のことではなく、きっと桟道に懸けられた橋ということなのだろう。
最後の橋を渡り、やっと、排雲山荘に到着した。時間は、15時20分。6時間弱の山歩きであった。
排雲山荘に、到着する直前に、OBさんの調子が悪くなり、OBの部屋ですぐに横になって、体調の回復を待った。1時間も休んだら、元に戻り、酒も飲んでいたので、大したことはなかったのだろうが、みんなは随分と心配したものだ。

排雲山荘は、綺麗な山小屋であった。2011年に改修工事をしているので、それ以前の排雲山荘とは、全く違っている。昔の写真を見ると1階建てだが、現在のものは、鉄筋の2階建てである。
部屋は2階の一番奥の、北側の部屋が与えられた。上下二段、5人ずつとプラス2人の12人が、この部屋に泊まる。
宿泊者には、インナーシート付きの大きなシュラフ袋が手渡された。中に潜ってみると、とても暖かい。特に、インナーシートを付けて、潜ると暑いくらいだ。ただ、このインナーシート、柔らかすぎて、シュラフの中で体にまとわりつき、落ち着くまでに苦労した。
夕飯までの時間、皆んな、テラスに出て持参したウイスキーを飲んだり、写真を撮ったり、山荘の周囲の山々を眺めたりして過ごした。部屋で、横になっていた者もいる。
夕飯は、下の食堂で、配られた食券を手に並んで配膳を受け取った後、各々、空いている場所に座って食べた。私は、少し遅れて配膳に並んだので、仲間の皆んなとは、離れた場所に座ったのだが、皆んなは、入り口に近いテーブルに固まって食事をしていた。
私だけが、「豚肉の照り焼き」で、他の皆んなは「カレーチキン」のメニューを、あらかじめ予約してあった。
WAさんの情報によると、「十把一絡げで洗面器に入っていて、美味しかった記憶もない」ということであったが、「豚肉の照り焼き」は美味しく頂くことができた。

排雲山荘から、眺めた夕日と雲海の光景は、とても言葉では表せないほど見事なものであった。
夕日が赤く染まりながら、雲海の彼方に沈んで行くに連れて、雲海の色が赤から紫、そして、黒へと徐々に変化していく様は、しばし息を潜めて、ただ眺めているしかないものであった。
その日の夜は、翌朝の出発が3時半と早いので、早々とシュラフに潜り込んでしまった。ただ寝つきは良くなく、夜中になんども目が覚めてしまった。上のベッドで休んでいたKSさんも、どうも眠れないようで、なんども寝返りを打つ音が聞こえてきた。

◆25日(水)
翌朝、2時に目が覚めて、軽い食事(お粥と饅頭と漬物)を済ませて、3時半に山荘を出発した。荷物は、必要な物だけをザックに入れて、後は、小屋に置いていった。
暗い道を、ヘッデンを点けて上っていく。我々より早く登っていくハーティーのヘッデンの灯が、行列になって、前方の暗い山肌に点々と灯っている。
空には、星が明るく輝き、傾いた月もほとんど満月で、明るい光を地上に投げかけていた。
1時間半も歩くと、夜がだんだん明けてきて、周囲の山々が見えるようになってきた。形のいい三角形の高峰が遠くに聳えている。関山という名前の山だったか?
頂上に近づくに従って、道は険しくなっていく。勾配も急だ。ここに来て、やっと登山という感じになってきた。
6時20分、頂上に着いた時、ちょうど朝日が登ってきた。東の雲の向こうから顔を出すと、瞬く間に光を放ち始め、終には目に突き刺さり、見ていられないほどの光に溢れかえった。
頂上にいた40人ほどの人たちが、一斉に登ってくる朝日に向けてシャッターを切る。皆んなの顔が、朝日を浴びてオレンジ色に染まっている。
「玉山主峯」と書かれた石碑が建っている。3952メートル。富士山より高い山に登ったのは、初めてのことだ。喜びが、胸に込み上げてくる。ああ、やっと玉山にやってきた、という訳である。

KSさんの顔色が悪いのに気づいたのは、そんな時だった。なんだか土気色の顔をして、眠そうな様子である。
30分近く頂上に滞在した後、下山を開始した。すっかり明るくなったので、周囲の景色がはっきりと見える。下りながら稜線を見ると、なんだか小さなグランドキャニオンのようであった。
途中で、鉄骨を上に運ぶ、少数民族と思しき若者何人かとすれ違った。あの鉄骨は何キロぐらいの重さなのだろう。相当な重量であることだけは確かだ。それを、背中に担ぎ、手でバランスをとり、頭で引っ張りあげながら、ボッカをしているのだ。足には、長靴を履いている。大した体力である。
途中から、KSさんが、バランスを崩すようになった。右に行ったり左に行ったりで、とても眠そうである。左にバランスを崩したりすると、そのまま、断崖の下に滑落してお陀仏ということになってしまう。食べた物を戻したりもした。完全な高山病の症状である。昨晩、どうも眠れなかったらしく、睡眠不足が響いているのだろうと判断した。KAさんの指示で、KSさんのすぐ後ろに付いて、何かの時には支えるように構えながら下山を続け、どうにか何事もなく排雲山荘に到着した。
ともかくも、KSさんには、部屋で少しばかり眠ってもらうことにした。眠れば、回復するに違いない。
台湾ラーメンをご馳走になった後、9時半ごろ排雲山荘を後にした。その頃には、KSさんも、かなり回復していたが、大事をとって、班を組み替え、先行組とKSさんをサポートする後行組に分けて下山することにした。KSさんの荷物は、他のメンバーが、手分けして担いだ。
 
帰りは、上ってきた日よりも暑く、まるで真夏のような日差しが頭上から照りつけてくる。私は、Tシャツ一枚になって下山していった。
先行組もゆっくり下っていたのだが、最後は、塔塔加鞍部の登山口目指して、かなり速いスピードで下って行った。
たどり着いたら、マイクロバスが待っていて、スムーズに乗車することができた。マイクロバスは、帰りは、なぜだか分からないが、上東埔の駐車場まで、直接、我々を運んでくれた。
駐車場からはチャータバスに乗り、今夜のうちに日本へ帰らなければならないHMさんを、桃園空港の近くまで送り届け、その後、バスは、台北に引き返した。
台北駅前でバスから降り、名残惜しかったが、長い間、我々の世話をしてくれた、ガイドのR(リン)さん達と別れた。

スター・ホステルに戻り、シャワーを浴びて、汗でべとついていた体をさっぱりさせた後、皆んなで、夜の台北の街へ遅い食事に出かけた。
目指す料理店は、時間が遅かったこともあり、ことごとく閉店していた。さまよい歩いた挙句、24時間やっている飲茶の店屋に入って、ビールと料理を何皿か注文して、人心地がついた。
翌日は、雪山に登らない者たちは、台北駅のバスターミナルから出ているリムジンバスで、明日から雪山登山に赴く仲間に見送られて、帰国の途についた。

***************
振り返ると、あっという間に過ぎてしまった5日間だった。
WOさんやWAさんには、万端の受け入れ態勢を準備していただき、本当に、感謝しても仕切れないほどである。
お二人のお力添えがなければ、こんなにも順調に玉山に登ることはできなかっただろうと思う。改めて、感謝の意を表したい。
雪山も、全員が登ることができたようで、めでたい限りでした。


◆26日(木)薄雲り
11:20 小籠包で有名な鼎泰豊で、みんなで玉山登頂のお祝いランチ。WOさんが開店前から並んで席を確保してくれた。感謝!
美味しいのと、緊張が解けたのとで?、小籠包があっと言う間に無くなる。さながらアルプス灯イナゴ軍団・・。

13:30 帰国組の5名を見送ったのち、雪山組も次なる登山に向けてバンで移動。今日は今年一番の冷え込みで、濃霧地帯ではダウンを着込む。
17:20 武陵農場に到着。“農場”とあるが国家公園にある景勝地で、宿泊施設の国民賓館は言わばリゾートホテル。家族連れの観光客で賑わい、夕食のビュッフェは嵐のよう。
21:00 部屋で最終ブリーフィング。今回はRさんは同行せず、WAさんが先頭を務めてくれる。
今年6月に登られた時は雨の中の強行軍だったそう。明日、明後日、晴れますように。

◆27日(金)快晴
6:15 起床。朝食を取り、バンで登山口へ。爽やかな秋晴れ。車窓から見える紅葉や果樹園、キャンプ場の景観からは昨日の霧空が嘘のよう!テンションが上がってくる。
8:20 登山スタート。樹林帯の中、整備された階段をゆっくり登る。優しい山容は玉山と全く違う雰囲気。高度や高低差がそれなりにあるので心配だったが、危険なところはない。
朝のひんやりした空気が気持ちよく、途中は奥多摩や奥秩父のハイキング気分。
シチカ山莊を経て、11:40観景台へ。振り返ると南東に中央尖山がかっこいい。一昨日登った玉山も、遠く南西にうっすら見えた。
Crying Slopeと言う急登を超えると、雪山東峰(3201m)まではもうすぐ。これまでほとんど人に会わなかったが、山頂にはツアーの団体客が20名ほど休憩していた。
私達もここでひと休み。玉山に続いての山行なので、高度障害もなく、みんな体調が良さそう。
青空の下、360度の山、山、山・・・。いつかあちら側の稜線を縦走してみたい。集団行動を放棄?したツアーの若者グループがギターと歌を披露してくれた。

14:20 東峰から約50分で三六九山荘に到着。SMさんとYEさんは隣の台湾パーティに溶け込んで、早速宴会を楽しんでいる。
みなさんベテランのようで、なんでも、ひとり1本ずつお酒を持って上がるのがお約束とか・・・中には53度数もある台湾酒も。
16:40 戸外で夕食。我々のパーティを担当してくれたシェフ&歩荷のTEさんは、金盥いっぱいのお米と、8種類ものお惣菜、スープを用意してくれた。どれも美味しい!
面白いのは、他の登山客も『お呼ばれしていいかな?』という感じで味見にくるところ。食べきれないので、どうぞ食べて食べて、とお勧めする。
ここでいただいた豚の角煮は、台湾滞在中のどこのものよりも柔らかくて美味しかった。
電気の無い小屋は陽が落ちると途端に寒くなる。食事が終わるとすることもなく、18時前にはレンタル シュラフにくるまって就寝。

◆28日(土)快晴
2:00 起床、おかゆと黒糖万頭の軽食。戸外での食事はさすがに寒く、あっと言う間に体が冷えてくる。
2:50 ヘッデンで登山スタート。星と月がくっきり。
団体ツアーと抜いたり抜かれたりしながら、真っ暗な道をゆっくり登る。道路の凍結は心配したほどではなく歩きやすい。
樹林を抜けると次第に斜度が増し、空がうっすらと明るむにつれ四方八方に山の端が浮かびあがってきた。
山頂付近はさすがに岩っぽい急登となるが、それでも3600mを超えてまだ石楠花の群生が続き、高山を登っているという感じがしない。
6:30 雪山山頂(3886m)到着、2座目ゲット!今日も朝日がすばらしい。眼下には広大なカールが現れ、山の雰囲気と言い、日本の仙丈ケ岳を彷彿させる。

下りは早い。登っている時には分からなかった倒木の森、瓦礫の岩場、ススキ野原をさくさく過ぎる。
9:00 三六九山荘に帰着。本日2度目の朝ご飯(台湾ラーメン)をいただき、9:25 下山再開。
途中、TEさんが歩荷して登って来るのにばったり。美味しいご飯のお礼を伝えることができて良かった(今朝下山し、食材を担いでもう登り返してきたらしい)。
今日は土曜日とあって登って来るパーティが多いが、来る人来る人、みな若者ばかり。私たちのような中高年パーティは台湾では珍しい?
12:45 予定よりだいぶ早く登山口に帰着。Rさんがすでに迎えにきてくれていて、2座目の登頂を喜びあった。
台北へ帰る途中、地元の人が集う日式泡湯で汗を流し、19時過ぎにホテル帰着。
夕食後、ホテルに差し入れに寄ってくれた呉さんと改めて乾杯!共有スペースで夜中までくつろいだ。

◆29日(日)晴れのち薄雲り
WAさんの案内のもと、今日は台湾観光。
ノスタルジックなキュウフンで食べ歩きを楽しみ、北投温泉に足を延ばす。台北市内では最後のお土産ショッピングを終え、一安心。
屋台のネギ餅、台湾麺等々を買い込み、またもやホテルの共有スペースで深夜まで飲み明かす。

◆30日(月)小雨のち曇り
台湾に来て初めての雨。
これまで連続8日間お天気だったのだから、文句は言えません。
午前中のわずかな時間を利用して台湾茶を購入。お茶請けの乾燥マイタケが個人的にヒット。
最後にWAさんに台北バスターミナルまでお見送りいただき、長いようで短い、充実の台湾山行を終了した。
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