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白馬岳から親不知縦走

日程  :2008年7月19日(土)~22日(火)
参加者:1名+会員外1名
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7月19~22日、山小屋泊で白馬岳から日本海まで縦走した。参加者は吉村、YD(都岳連個人会員)。まずは猿倉から白馬雪渓を登り、1日目白馬岳頂上宿舎泊、2日目朝日小屋泊、3日目栂海山荘泊(自炊)、4日目は早朝出発で日本海に至り、親不知観光ホテルの風呂に入った後に最寄駅まで送ってもらい、帰りは北陸本線、上越線等を利用して東京に戻る。以上、計画通りの縦走でした。通過した雪渓10数ヶ所も今回縦走の特徴の一つ。ともかく第3日目の朝日岳~黒岩山の間の百花繚乱のお花畑は、小生の過去40年の登山歴の中で見たことのない素晴らしいものでした。
第1日目(7/19)晴れ:猿倉6.15~白馬岳頂上宿舎12.30
第2日目(7/20)雨:白馬岳頂上宿舎5.30~朝日小屋15.23
第3日目(7/21)晴れ:朝日小屋5.05~栂海山荘15.10
文子の池にて雪渓が溶けた水を飲みこれほど水がうまいと思ったことはない。
北俣の水場(縦走路から往復10分)で夕食・朝食と明日の縦走の喉の渇きを潤すための水3リットルを確保(この時点での水確保4リットル)。
今日は天気が良すぎて、熱射病に気をつけなければならないと考えて早朝出発したが、栂海山荘にたどり着いたときは、バテ気味で食欲を取り戻すために約1時間仮眠。起きてみると、まだ後続者は着いていない。その内2人組が血相を変えて到着し、どうやら単独行者(逗子在住)が犬ヶ岳の痩せ尾根縦走路(栂海山荘は間近)で倒れているので手伝ってくれというのだ。その後若者3人組が到着し、既に脈はなく心肺停止状態であり心肺マッサージをしたが蘇生しなかったという。ヘリが到着するまでに事故者を固定するために、ロープの提供を呼びかけて来たので、小生のロープを提供した。
その後、関与者が警察やら栂海山荘に携帯電話(ムーバで受発信ok)で連絡し、幸い富山県警ヘリが素早く動いてくれて、ガスの晴れた一瞬を狙ってホバリング状態で2人の救助隊員を痩せ尾根に降ろし既に結束していた事故者を収拾した。この富山県警の離れ業を見て、今宵の利用者5パーティ12人(内3人は幕営)は拍手。あっという間の出来事だった。外傷はなく熱中症による死亡のようだ。50歳位の人だった。と思っていたが、その後帰宅してから調べた、毎日新聞配信(7月23日15時1分)によれば、外傷性脳出血のため死亡ということが分かった。
いずれにしても、逗子のIさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
富山県警ヘリが撤収後、すぐ雷雨となったので、本当に間一髪の事故者撤収であった。
我々は黒岩山で数時間前にIさんと話をし、また文子の池にて雪溶け水を同じ時に飲んでいたのでびっくり。
それにしても熱中症は怖い。特にこのように長い縦走路では十分な水確保は何よりも大事である。
第4日目(7/22)晴れ:栂海山荘4.10~親不知(栂海新道登山口)15.20
最後の水場シキ割にて水1.5リットルを確保。4日目最終日が、所要時間からみても、栂海新道縦走の核心部になったことは言うまでもない。

装備:水、雨具、帽子、サングラス、ヘッドランプ、ロールペーパ、コンパス、地図、保険証、行動食4食、夕食1食、非常食、軽アイゼン、スパッツ、ストック、シュラフ、シュラフカバー、シュリンゲ2、カラビナ2、タオル、持病薬、着替え、ガスコンロセット、カメラなど、以下は共同装備:ツェルト、ロープ、救急薬、無線機
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