【日程】2018年10月14日(日)日帰り

【山域】小楢山(1,713m、山梨県山梨市、山梨百名山の一つ)
【参加者(敬称略)】19人(21人参加予定のところ2人不参加)。
1班:I(CL)、T(班L)、K(SL)、他3名、
2班:Y(班L)、F(SL),他5名、3班:T(幹事・班L)、E(SL・会計)他4名
【行程】
焼山峠~小楢山~保健農園ホテルフフ山梨(旧称オーチャードヴィレッジフフ)。コースタイム3時間36分。
「焼山峠~小楢山~大沢ノ頭~差山~皷川温泉」(コースタイム5時間半=登り2時間、下り3時間半)の計画だったが、下山ルートを変更した。朝までの雨で山道の状態が悪いと判断したためで、時間が大幅に短縮された。
8:58 JR塩山駅前から貸し切りバスで出発。全員、集合時間を守り、9時出発の予定を早めた。道中、標高が高くなるにつれてガスが深くなり、天候への憂慮が増す。
9:49 焼山峠着。
10:07 登頂開始。10時半ごろ晴れ間が見えたが、長くは続かず、おおむねガスか小雨模様。
10:53 1、3班が小休止。2班は休まず歩行。
10:58 1、3班が歩行再開。
11:17 先行した2班が山頂到着。
11:21 1、3班が山頂到着。約30分間の昼食。山頂は真っ白なガスに包まれ、眺望は全くない。視界に恵まれれば富士山や南アルプス、八ケ岳などが見えるはずだが、まことに残念。山頂にほかの登山者の姿はなく、去り際に1人が登ってきただけ。
看板には「小楢山(霊山古那羅山)」とある。別の看板によると「その昔、夢窓国師の修業の地と言われていた」。水楢(ミズナラ)、小楢(コナラ)が多く、俗字として「小楢山」をあてたが、臨済宗の禅僧、夢窓国師(夢窓疎石、1275~1351)は「古那羅山」と命名したという。由緒ある山なのだ。そういえば、焼山峠には多くの地蔵(山梨市観光協会のサイトによると子授け地蔵)があり、登りの途中には「的石」という岩(ヤマトタケルの伝説があるという)、下りでは「布袋石」という岩などがあった。興味深い。
11:50 下山開始。標識に「窪平(母恋し路)」とある。どんないわれ(注)があるのだろうか。母恋し路は、傾斜は緩いが樹林帯でこけむした岩石だらけ。好天でも歩きにくそうで、雨にぬれてなおさら滑りやすくなり、転倒が多発。かなりのストレスを強いられた。途中で何人かの登山者に出合う。
12:40 2、3班が林道に出る。小休止。
12:48 遅れた1班が林道に到着。小休止。
13:00 歩行再開。林道を右に行くか左に行くか迷ったが、標識は右を指示しており、地図とコンパスで確認の上、右方向の道を選択した。途中で大沢ノ頭(1,673m、掲示板には「大沢山」とある)に登る「父恋し路」を右に分けて進む。標高が低くなるにつれて空が晴れ、遠くの山並みが美しく見える。山頂のガスを思い出し、何人かから怨嗟の声が上がった。
13:43 保健農園ホテルフフ山梨近くの駐車場に到着。迎えのバスが待っている。登山口には獣害防止の厳重なゲートがあり、主な目的は熊よけのようだ。くわばらくわばら。小休止と会費の徴収。
14:00 バス出発。
14:30ごろ JR塩山駅前で6人が下車して帰路に就く。
14:45ごろ 13人が甲州市勝沼ぶどうの丘に。温泉「天空の湯」に入り、湯上がりのワインやビールを楽しむ。冷えたワインは赤、白ともにフルーティで美味なり。
16:30ごろ ぶどうの丘を出発。
17:00すぎ JR大月駅前到着。貸し切りバスはここで業務終了。3人は帰り、10人は駅近くの「魚民」で飲む。20時すぎに最終解散。
【感想】
ガスと小雨で眺望に恵まれなかったのは残念だが、変化に富み、静かで品格のある良い山だと思った。好天のときにもう一度登ってみたい。
ルート変更の結果、歩行時間は約3時間(登り約1時間10分、下り約1時間50分)と短くなり、ぶどうの丘で温泉とワインをゆったり楽しむことができた。「このぐらい歩行時間が短いのが一番」という声も出た。登山自体は軽めにして温泉と食事を充実させる山行プランも悪くない。というより、大変良い。昨年は例会山行で猪鍋山行というプランもあった(中止になったが)。全体としてとても楽しい山行だった。
(注)「母恋し路」「父恋し路」のいわれ:ネットで調べたら、母恋し路登山口の掲示板に戦国時代の伝説の説明が書いてあることがわかった。掲示板は見たが、説明文を見逃していたようだ。説明文は次の通り(一部修正)。「戦国時代武田氏に仕えた信州川上の城主の姫が夫を慕って中牧城に来たが、城は信長の軍勢に陥落し、夫は討ち死にし、嘆き悲しんで盲目となり、川上村に帰る道に迷いてこの処に死す。/後日、川上村に残した二人の姉弟が供を連れて両親の供養をしようと小楢(古那羅)峠にさしかかり、姉は優しい峠道を下り(母恋し路)、弟は険しい奇岩の連なる大沢山(父恋し路)を下ったので、誰云うことなく父恋し路・母恋し路というようになった。」
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