日程 :2009年6月13日(土)~17日(水)
山名 :霧島・韓国岳 & 屋久島・宮之浦岳
参加者:3名

コースタイム :
6月13日(土)
韓国岳登山口BS(11:55)~3合目のちょっと上(12:25-12:30)~韓国岳山頂(13:20-13:45)~韓国岳登山口BS(14:50)
6月14日(日)
淀川登山口(14:30)~淀川小屋(15:15)
6月15日(月)
淀川小屋(5:45)~高盤岳展望所のちょっと下(6:30-6:40)~花之江河(7:20-7:30)~投石湿原(8:00-8:10)~翁岳直下の水場(9:10-9:25)~宮之浦岳(10:00-11:00)~平岩(11:40-11:45)~第二展望台(12:35-12:50)~第一展望台(13:10)~新高塚小屋(13:35)
6月16日(火)
新高塚小屋(5:50)~高塚小屋(6:40)~縄文杉(6:50-7:15)~ウィルソン株(8:20-8:40)~大株歩道入口(9:05-9:20)~楠川分れ(10:25-10:45)~太鼓岩(11:40-11:50)~白谷雲水峡BS(13:30)
(屋久島だけでかなり長文になってしまったので、とりあえず韓国岳は後に回すか、お二人にお任せすることにして3日間の記録のみをアップします。)
今回、Mくんの発起で参加することになった鹿児島・屋久島行き、一度話は流れたものの再度日程を変えて決行となった。いつかは行こうと思っていた屋久島。こんなに早く実現するとは思っていなかった。屋久島には呼ばれた人が行くという。そう、私たちは呼ばれたのだ。そして、素晴らしい自然と人々に迎えられた。
【14日】 前日の朝、羽田を発ち鹿児島へ。その足で霧島・韓国岳を登り鹿児島市内に一泊後、しっかりとホテルの朝食(鶏飯とフレンチトースト)をおいしくいただいてからタクシーで鹿児島南埠頭ターミナルへ。
鹿児島本港7:45発、高速船トッピで約2時間の船旅はあっという間だった。飛行機のようにシートベルトを締め航行中はデッキに出ることは出来ない。船旅の場合、高速船かフェリーかの選択は時間をとるか旅情をとるかの選択とも言えそうだ。
ほぼ定刻通り屋久島宮之浦港09:47着。山行に不要な荷物は16日下山後に宿泊予定の民宿「ふれんど」に置かせてもらう。なんと宿の真向かいに登山口に向かうバス停がある。昼食と山中の燃料(アルコール)を買うため商店を探すが、日曜日はほとんどの店が閉まっている。地元の人に聞いて橋を渡った先にあるAコープに歩いて行く。今回のリーダーであるMくんは出発前に左足首を痛め、平地を歩いていてもつまづいたりしている。山靴を履けば大丈夫だというが、ちょっと心配だ。とりあえず、本日の宿泊予定地の淀川小屋まで歩いてみて、だめそうなら一人で引き返すということに。期待していた若手の歩荷がなくなり、共同装備の食糧も自力で担ぐことに…。自分自身、荷物を背負っての縦走は久しぶりで以前ならもっと担ぐはずの燃料も少なめにする。
宿に戻り、昼食とデザートの「白熊」を食べ終えてバスが来るのを待っていると、バス停に若い女性が一人やってくる。それが今回の旅の贈り物、ユミちゃんとの出逢いだった。
ユミちゃんは「ふれんど」の隣の民宿に泊まっていて、そこのご主人がパチンコに負けたら登山口まで車で送ってくれることになっていたという。ご主人には悪いが、ラッキーなことに私たちまで一緒に乗せてもらえることになった。
バスとは違うルートで、アジサイが見事に咲き乱れるところや絶景ポイントなどを通り、紀元杉を見る時間までとってくれ淀川登山口まで送ってもらう。だいぶ時間と費用の節約となった。その分、世界遺産保護(し尿処理費用)のための募金一口\500を二口ずつする。
登山口には数台の車が停められていた。ここから、宮之浦岳をピストンする人たちの車だったようだ。
親切なご主人とお別れし、いよいよ歩き出す。足首に不安をかかえるMくんを先頭に、アッコちゃん、ユミちゃん、私のオーダーでラッキー・カルテットパーティーが始動した。
「ひと月のうち35日は雨」(林芙美子『浮雲』)だというし、梅雨時だから当然びちゃびちゃ、ジメジメを覚悟していた。ところがなんと晴れ女アッコさまとラッキーパワーのおかげか、乾いたルートを快適に進む。途中、小屋を管理しているというおじいさんとすれ違う。連休などのシーズンには、客の寝る場所を確保するため早めに小屋に行き陣取るという不届き者がいるので、見回っているという。今の時期は大丈夫らしい。そのときに宮之浦岳の頂上から天気が良ければ硫黄島、種子島、開聞岳が見えるということを聞く。ユミちゃんと二人で私たちはラッキーだから、きっと見えるよねと信じ込む。小屋までの道程でシャクナゲがまだ咲いているのが確認できた。
1時間もかからずに淀川小屋に到着する。思っていたよりもきれいな小屋だ。先客は誰もいない。小屋から少し離れたところにあるトイレも、連休後に汲んでくれたようで、てんこ盛り状態ではなくほっとする。水場もすぐ裏に沢があり、そこでしっかりビールを冷やす。
小屋の前にはまるでキャンプファイヤーでもやりそうな広場があり、そこでカレー麻婆春雨丼の夕食をいただく。この時期、陽は長く午後8時近くまで明るかった。
数人が小屋の前を通ったが、みな日帰りらしく結局、この日は私たち4人と神奈川の相模原から来たという単独の男性の5人で定員20人の小屋を広々と使うことに。しかし、実は私たち以外にもヒメちゃんという小さな客もいたのだった。ヒメちゃんの正式な名前は「ヤクシマヒメネズミ」。人が寝静まると活動を始める。最初何が起きたのかわからなかったが、ヒメちゃんが活動を開始し、なかなか眠ることができない。小屋にはたしかに“ネズミがいるので食ベ物はリュックの中に”という貼り紙はあったが、これほど大胆に行動するとは…。やっと落ち着いて眠れるかなと思った頃に今度は少し寒くなり、広くても密着して寝るべきだったと反省する。とくに単独の彼は日帰りのような軽装で寝袋がなかったために寒かったらしく、夜中に出発してしまった。その彼が残した食べカスめあてに、またもヒメちゃんが運動会を始める。おかしいのがライトを当てると「だるまさんがころんだ」ばりにピタッと動きを止めることだ。ちょうどおいしそうに食べカスを前足で持って食べているところにライトを当てたら、目があってしまった。可愛いい!つぶらな瞳、ヒメネズミというくらいだから小さいし、街にいるそれとは違ってハムスターのようだった。この日は安眠妨害という被害だけで済んだ。
【15日】 やっと本格的に眠れたと思ってから1時間位で起床時間になってしまった。誰かのアラームが鳴ったが誰も起きる気配はない。もう少し寝ていたいが、きょうの行程は長い。
ワカメがたっぷりはいった九州とんこつラーメンの朝食を済ませ、小屋を掃除して出発。
もし私たち3人とユミちゃんのペースが違ってきたら行動は別にしようと話し、とりあえず昨日と同じオーダーにする。ユミちゃんは思っていたより歩けるし、Mくんの足首も大丈夫そう、アッコちゃんは強いと聞いている、そして私も付け焼き刃的なトレーニングが効いたのか仕事のおかげか調子はいい。様子次第では、Mくんの荷物をアッコちゃんと二人で分けて担げば何とかなるだろうと思いながら歩く。
花はないと聞いていた花之江河には、しっかりシャクナゲが咲いていて、それなりにきれいだった。以前に比べたら少ないという意味だったのであろう。それほど広くはないが山中に突然ひらけた湿原地帯という感じで、晴れていたから尚更だと思うが、乾いた木道の上は気持ちのいい休憩場所だった。栗生・湯泊方面への分岐あたりには、この山行で見た中で一番きれいな純白のシャクナゲが一輪、「私を見て」と言わんばかりに目の前に咲いていた。
花之江河を出て、ほどなくして黒味岳への分岐。Mくんは待っているから空身で往復してきたらと言ってくれる。行ってもいいかなと思ったが、晴れ女アッコさまが乗り気でないのでやめる。きょうも嘘のような晴天に恵まれ、快適に歩を進める。ユミちゃんが宮之浦岳は見えてからが長いよと言われたというが、天気がいいので様々な奇岩をいただく山々を見ながら飽きずに歩くことができるご機嫌なルートだった。奇岩のひとつに私が「かまぼこ岩」と名付けた岩は、ガイドブックによると「トーフ岩」だった。角がなく丸いから豆腐よりかまぼこだと思うけど…。何にしろ巨岩がきれいに垂直にいくつかにスライスされている不思議な光景だった。雷によるものかと思ったが、侵食によるものらしい。まさに自然の芸術作品だ。ほかにも規模は及ばないが、ヨセミテのハーフドームさながらのものなどもあった。途中、遭難碑を見つける。無雪期の天気のいいときには、どうしてこんな場所でと思うところだった。本当に山中での好天ほどありがたいものはない。
前方に人影が見える。逆コースで今朝、新高塚小屋を出てきたというパーティーだった。意外に若い人たちだ。ひと組はガイドが一緒のようだった。単独の男性もいた。
宮之浦岳に近づくと、海なのか空なのかわからなかったところが海だと判明した。というのもコニーデ型の山がそこに浮かんで見えたからだ。あれはきっと開聞岳に違いないと思いこむ。山頂までの登りは少し息が弾む。後方に近づいていたおじさんを少し引き離したようだ。ちょうど10時に山頂に着く。管理のおじいさんが言ったとおり、平っべたい種子島と少し煙をあげる硫黄島、それに開聞岳も見える。えっ、あれが開聞岳だとすると西方に見えている勝手に開聞岳だと思っていたコニーデ型はなんだ?あとでそれは、中之島だと判明する。視線を遠方から近くに戻すと、登ってきたルートとこれから下るルート、永田岳へのルートがはっきりと見える。そんな絶景を拝みながら、トップオブ九州でベトナムコーヒーを淹れて贅沢な時間を過ごす。頂上でこんなにのんびりできるとは、なんという幸せ!
ゆっくり1時間も頂上で過ごして下山開始。振り返ると頂上直下のシャクナゲの群生が見事だ。下りも気持ちよい登山道で景色を楽しみながらテンポよく進も。途中、その景色のため衝動にかられ「ヤッホーー!」と叫ぶと「ヤッ~ホ~~~~!!」と期待以上にヤマビコが応えてくれた。何度も「ヤッホー!」と「チャーネッ!」(どんぐりのコール)を繰り返し、ヤマビコの響きにうっとりした。
新高塚小屋に13時半過ぎに到着。淀川小屋と内部の造りは同じだが、もっと広く、小屋の前には「森のレストラン」風に大きめのテーブルとイスが用意されている。小屋から水場まではかなり広いスペースがウッドデッキになっていて、テン場になっているようだ。シーズンには収容人数40名を軽く超えてしまうのだろう。
夕食にはまだ早いので、きょうの燃料・缶チューハイとワインを冷やしておき、ウッドデッキで鳥のさえずりを聞きながら、お昼寝タイム。ストレッチをして体をほぐしていたら、マッサージをして欲しくなり、アッコちゃんにやってあげて同じようにやってもらう。Mくんもやってくれる。さすが力があり上手だ。体がだいぶほぐれた。余裕があれば山行中にお互いマッサージをやりあうというのもいいかもしれない。
本日の「森のレストラン」のメニューは明太子スパゲティ、和風きのこスパゲティ、きのこクリームスープだ。客は私たち4人だけのはずが、またしても珍客が。おそらく、小屋周辺にいるのであろうヤクジカが2頭、テーブルのすぐそばまでやってくる。何かおこぼれを期待しているのかもしれない。こぼしたパスタの茹で汁をおいしそうに飲んでいた。いくら気を付けても、自然の中に人がはいると何かしら環境に影響を与えてしまう。本来の自然の姿を歪めてしまうのは避けられない。奇しくも2011年から屋久島も入山制限を行うらしいが、正解だと思う。
夕食がすむ頃に、きょう淀川登山口から登ってきたという夫婦2組のパーティーが到着。きょうの小屋利用者は合計8名。ゆったり場所はとれたが、昨夜の教訓できょうは4人隣り合って寝る。そして、この小屋にはネズミに注意の貼り紙がなかったので油断していたが、昨夜以上に大変なことになってしまった。ヒメちゃんよりも大きなやつが何匹かいて、足音は大きいし数も多いようだし、またもや眠れね夜となってしまった。夜中にユミちゃんのザックに2匹も入り込んでいて食糧がかなりかじられていた。共同食糧が自分のザックに入っているので気が気ではなかった。
【16日】 2日続きの寝不足状態で4時起床。朝食はごぼう天入り力うどん。昨夜食糧をネズミに食べられたユミちゃんと3人分を4人で分ける。餅のおかげでボリュームがあり、お腹いっぱいになる。食べている間に明るくなってくる。若夫婦は暗いうちに出発し、年配の夫婦は知り合いが迎えにくるのでバスの時間は気にしなくていいらしく、まだゆっくりしている。6時前に出発。1時間足らずで高塚小屋に。前夜は縄文杉目的のパーティーが1組泊まっていた様子。こちらは少し狭い感じだが、外壁がコンクリート。もしかするとネズミは出ないのかも?さらに少し進むと、いよいよ縄文杉とご対面!うーん、さすが迫力ある。何千年を生きてきた重みみたいなものが伝わってくる。朝早いので他に誰もいず、私たち4人だけで縄文杉との対話ができた。ガイドツアーで来るとこれほどゆっくりはしていられないのだろう。展望デッキには一方通行の印がある。デッキへの階段も上り用と下り用と別になっていた。ひとしきり写真を撮り縄文杉と別れ、夫婦杉、大王杉を通過すると屋久島で最古の切り株というウィルソン株に到着。18世紀末頃に伐採されたものらしい。そのときの推定樹齢は3千年。株の前には、すでに下から登ってきた人たちが数人いる。株の中はかなり広く、清水も湧いている。Mくんが切り株の穴がハートに見えるポイントを教えてくれる。本当にハート型に見える。最初に気付いた人はすごいね。このハートを見ると恋が成就するらしい…。何かのビデオ撮影隊もやってきていた。ここからの下りは何組ものガイドツアーのグループとすれ違う。その度にこちらは道を譲るので、予定外のロスタイム。すれ違うガイドたちを観察し、結構イケメンが多いねなんて評する。中には女性ガイドもいた。彼らは客の歩調を見ながら、すごい気を遣って歩いていた。宿泊ツアーなのだろう、まるで歩荷のようなガイドもいた。自然の中で働けるのはいいが、楽な仕事でないのは確かだ。
大株歩道入口にもたくさんの観光客がいた。ここのトイレはきれい。ここからはトロッコの軌道をひたすら下る。はっきり言って単調な軌道歩きは飽きる。これを登ってくるのはさらに退屈なことだろう。白谷雲水峡発の最終バスに間に合わないようなら荒川登山口に下る予定だったが、14時のバスにも間に合いそうなので、楠川分かれでトロッコ軌道から外れ、辻峠へ向かう。この登りはあまり人がはいっていなさそうで静かな山歩きが楽しめた。ただ、つまらなくなり昔Jさんに教えてもらった「ルビーの歌」を口ずさみながら歩いた。そう、もう少し頑張ればビールが待っているからだ。時間に余裕もあるし、Mくんがすすめてくれるので、太鼓岩までピストンする。あまり期待はしていなかったが、まさに「アッラー!」ポイントだった。360度のパノラマ、足下の眺めもため息もの。ここは是非訪れてほしい。そして、この先が「もののけ姫の森」。本当に何かいそうな、木霊がどこかにいそうな感じのところが随所にあった。贅沢な話だが、もう少し天気が悪かったほうがもっと雰囲気があったのかもしれない。ユミちゃんと私の二人で写真を撮りまくりながら進む。七本杉、くぐり杉を過ぎ、さつき吊橋を渡り、滝をいくつか見て歩くと白谷雲水峡の入口にあっという間に着いてしまった。14時のバスには十分すぎるほどの時間があった。期待していた売店はなく、沢に足を浸けたりして時間を潰す。
バスで宿に戻り、レンタカーを借り、4人で楠川温泉へ。肌がつるつるになるお湯だった。それから、ユミちゃんも一緒に宿で下山祝いをするためAコープで食材と飲み物を仕入れ、宿近くの魚屋で屋久島特産の首折れサバ、トビウオ、マツイカに聞いたことのない白身の魚をお造りにしてもらう。これらの刺身は4人で食べてもたっぷりのボリュームで1700円程。かなりおいしかった。その後、永田いなか浜でウミガメの産卵を見に出かける。今までずっと見たいと思っていたものだ。毎晩見られるとは限らないらしいが、ラッキーな私たちは、しっかりと見ることができた。時間をかけて産んだあとに器用に後肢で砂をかける。少しずつ前に進みながらその作業を黙々と続ける。産んだ場所が特定されないためのカモフラージュだという。誰に教わった訳でもなく、脈々とその行為を続けているのだ。最後に前肢で何度か砂を全体に撒きかけて母ガメはまた海に戻っていった。感動ものだった。機会があれば今度は孵化するところを見てみたい。ここで生まれ、無事に生き残ったものは30年という歳月をかけて戻ってくるという。昔はウミガメの卵は地元では栄養源で、子どもたちが掘り返して食べたり、それを売って学用品などを買っていたという。今では、その時の子どもが罪滅ぼしのためにウミガメ保護のボランティアをしているという。感動をのせた車の列が一斉にそれぞれの宿に戻っていった。宿に戻ってから、本格的に祝杯をあげる。楽しかった3日間の思い出話は尽きることがなかった。
最後に、今回の山行を計画してくれ、足に怪我を負いながらもリーダーとして私たちを楽しませてくれたMくんと、この時期の屋久島に行動中ずっと晴れを引き寄せてくれた晴れ女アッコちゃん、それと広島弁の軽快なトークでいつも笑わせてくれたユミちゃんに…心から感謝します。素敵な思い出をありがとう!!
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